さがすじんせい ADMIN
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2016.11.12
こんなブログのことも数年間忘れてた気がする。

時に埋もれた自分の記事を見て、何とも言えず絞り上げられるような気持ちになる。
とても直視できない。読めない。

5年前の自分が残っている。
9年前の自分が残っている。
不思議だけど、とても嬉しい。
甘く苦しくてとても読めないとしても。

もはやこれを読む人なんてこの世にだれもいないだろう。

あれから、無事に院を出て、就職して、臨床心理士の資格を取った。
一度転職したものの、今も心理士として仕事をすることができている。

そして結婚した。
今隣りで寝ている。

こんなに普通の年齢で、普通に結婚できるとは思わなかった。

当たり前だけど、5年前に今のこの生活を想像することなんてまったく不可能だ。
人生はどこに運ばれてくか分からない。
想定内の、平凡な暮らしをしていても、その様相というのはやはり想像できない。

5年前はもっと苦悩していた。
当時は、自分がアイデンティティの問題で苦しんでいるのだという考えが思いついても、それにしっくりはこなかった。
傍から見たらそう見えても、そんなものじゃないと思っていた。
でもやはり今の自分からしたら、その言葉であっさりと片付けてしまいそうだ。

苦しくないことはいいことだけど、当時を思い出したら寂しくもある。
悩まない分、当時よりは前に進む力があると思うけれど、その分痛みや苦しみに鈍感になってしまう。
そう思うと喪失感がある。

でもやはり、今頑張れるように頑張るしかないのだ。
人のために、ということを忘れず、努力したい。
そして、やはりお金も欲しい。
そのためにはやはり頑張らないと。
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2011.09.26
その2
なぜ今自分は臨床心理学を学んでいるのか。
臨床心理士になろうとしているのか。

社会的な問題意識をもっていたわけではない。
過去にトラウマを負ったわけでもない。

ひとことでいえば、自分の弱さだと思う。
それが自分に、こういう選択をさせた。
こういう道を、人生を選ばせた。

心理学を勉強し始めて、自分の弱さに名前をつけることができるようになった。
自分の病んだ心、病んだ行動に、ラベルを貼ることがでいるようになった。
自分を理解することで、自分が平均からどれだけ偏っているか・ゆがんでいるかを知ることで、自分が自分に距離を保てるようになった。
自分に巻き込まれないようになった。

もちろん、分かってても、時間がかかることもある。
ゆっくり自分がよい方向に変わってくのを、気長にまつのが大事だということも分かってきた。

自分の脆弱な部分は、いろんなかたちで、これまでの人生に、これまでの生活に、あらわれてきた。
神経症的なもの、抑うつ、対人関係、思いこみ。
そういうものたちが、自分の人生を常に圧迫しつづけた。
心の自由や、生き生きとした楽しみを奪ってきた。
じりじりと自分を人生の主の道から外れさせて、もういい年になったときに、自分がほかの人とは少しちがうことに、やっと気づく。
ほかの人ができていることができない自分。
それを眼前につきつけられて、やっと気づいた。

そこからの数年は、もがきにもがいた。
人生でいちばん酷い時期だった。
同時に、今ものすごいターニング・ポイントである、ということも分かっていた。
自分のなかでいろんな認識、気づきが、どんどん開いていくのを感じていた。
それまで気づかなさすぎた、というのもあるだろう。
でも、気づいても、それが行動として、結果として、かたちになるのはとても時間がかかった。

それで、今、臨床心理士を目指している。
なんとか、やっとこさ、ここにたどりついた。
べつにずっとあこがれていた、というわけではない。
なんとか自分の居場所を、腰をおろす場所を、見つけたのだ。

ほかの選択肢があったのだろうか。
どうして臨床心理士を目指すのだろう、臨床心理学を学ぶのだろう。
その必然性は?ほかの選択肢は?
もしかして、普通のサラリーマンのようにもなれたかもしれない。
でも、何年かかってもできなかったのだ。
サラリーマンも、公務員も。
事実として、それはある。

むりに意味づけするとしんどくなるから、今はただ、目の前のやるべきものに、進むべき方向へ、ひたすら努めていきたい。
むりに意味づけする必要もないだろう。

さがすじんせい、とタイトルにつけたけれど、結局はそれが、自分の人生のテーマだと思う。
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2011.09.25
こころのじゆう
これをやるべき、じゃなくて、これがやりたい、で動くことが、とても大事だと思う。

やるべき、で動こうとすると、焦燥感ばかりになる。
それで、負担になって、よけいできなくなる。
なかなか取りかかれなくて、むだな時間を過ごすようになる。

やりたいことに時間をかけるためには、やらなきゃいけないことにあまりこだわらず、パッパッと終わらせることが大事なのかもしれない。
そうすれば、もっと有意義に過ごせるのに。

あと、遊び方が分からない。
昔からだけど。
一人で息抜きをすることができない。

ずっと人とのかかわりを避けるように生きてたけど、
大学院にきて、院生室があって、
常にそこにはクラスメイトがいて、
しかも同じ心理を目指すだけあって、居心地よく、
自分もさすがに人とのかかわりを求めていこうという意識はもつようになって、
それで、自分は一人が好きなんだと思ってたけど、本当はそうじゃなくて、
今では、できるだけ一人でいたくないって思う。

休日、丸一日一人で過ごすのが、苦痛。
昔からそうだったんだけど、基本的にいつも一人で生活してたから、気づかなかった。
一人でいると、神経症的になる。

一人でいて、遊び方が分からないのは、~がしたいっていうのが自分で分からないからだろう。
本質的に、ないわけではない、と思う。
でもそれが、~すべきである、につぶされて、とんと分からなくなっている。
それが、何時間もPCとかスマートフォンでインターネットしてるのでは、ないと思う。断じて。
ではなぜそれをしてしまうのかは、それがストレスからの解放だからなんだと思う。
そのストレスこそが、~するべきである、しなければならない、という考えなのかもしれない。

だから、休みはなにか勉強しなければ、と思ってしまう。
そうでないと、時間をむだに過ごしてしまっている気がして。
お前は臨床心理士になるんだろう、いくら本を読んでも読み足りないぞ、と。
でもそんなん、自分が神経症だよ、と思う。

心の自由を確保したい。
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2011.09.24
今していること、おいたちなど その1
今、大学院で臨床心理学の勉強をしています。
M1です。
大阪のすみっこの方にある(たぶん)大学です。
生まれは愛知、大学(学部)は茨城で一人暮らし。
関西に住むのはこれが初めて。

学部は、心理系じゃなかった。
そんなに興味もなかった。
でも、今こうして心理学を勉強しているのは、自分という人間の、そういう成り行きだったのだと思う。

今年の4月に大学院に入学する前の1年間は、親元で暮らしていた。
親子3人暮らし。
両親に大いに助けてもらったと思うけど、今でも学費を支払ってもらっているけれど、その1年は、とてもしんどかった。

はじめは公務員になるということだった。
そういう名目で、茨城から実家に帰ってきた。
でも、きっと元から公務員になりたいわけじゃなかった。
ただ、自分の将来に対する不安だけだった。
結局、まともに勉強できなかった。
全然身が入らなかった。
それで、ことごとく落ちたし、それも当然だと思った。
だからあきらめて、臨床心理学を勉強しようと思った。
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2007.11.18
スコータイ~チェンマイ編(11日~)
11日:
昼近くに起きて、スコータイの遺跡を見に行った。

スコータイの遺跡はアユタヤのより古くて、確か1200年ぐらいのもの。
造りも簡素な感じだ。
遺跡周辺は公園になってて、かなり広い範囲にお寺の遺跡や博物館が展開されているが、
中心部を見ただけで満足してしまった。
アユタヤに比べるとどうしても迫力不足を感じてしまう。
こっちを先に見るべきだったかもしれない。

宿に帰ったら、シャワーを浴びた後にお母さんにタイマッサージをしてもらった。
力がちょっと弱いが、丁寧にやってくれる。
くすぐったかったり、ちょっと痛かったり、気持ちよかったり。
マッサージをしてもらいながら、家族のことや、ゲストハウスの経営が
厳しいことなどにについて話した。
昔はけっこう景気よかったんだけど、大きいゲストハウスがまわりにどんどんできて、
値段据え置きで4部屋しかないウチはかなり大変なのよ…ってことを英語でぐちっていた。
たぶんタイ語だったら止まらない勢いで話し出すんじゃないか。

この日も徹夜してさくらももこを読んだ。
宿に置いてある3冊を読了した。
実におもしろい。日本に帰ったら買い集めよう。古本で。


12日:
コーヒーを飲んだせいで、なかなか寝付けず、結局朝7時頃になってようやく
浅い眠りにつけた。それも11時くらいまでだ。

明け方になって今日はチェンマイまで行くことに決めた。タイ第二の都市だ。
バスターミナルに行く途中で、銀行で残ってた日本円をバーツに両替。
13時出発のバスに乗り込んだ。

6時間の長距離バスだから、うきうきしていた。長距離移動は好きだ。
しかし、バスに乗り始めて30分ぐらいして、車酔いみたいな気分が抜けないことに気づいた。
おかしいな、と思ってたが、しばらくして風邪の症状だと気づいた。
寒気がしてきた。エアコンも効きすぎだ。ジャンパーを取り出した。
その後、解熱剤をもっていることに気づき、飲んだら少し落ち着いた。
なるべく体を休めよう、と思って、チェンマイに着くまで眠っておくことにした。

6時頃到着。
気分はさほど良くない。
宿はガイドブックを見て決めておいたので、タクシーか何かでそこまで行こうと思ったが、
ちょうどソンテオ(バスの1ランク下みたいなやつ)が通り過ぎたのでそれで行くことにした。

客は自分ともう一人だけで、運転手とその人にガイドブックを見せて場所を教えたが、
タイ語で書いてないのでよく分からないみたいだ。
道行く人にたくさん道を聞いてもなかなかたどりつけない。
そんな状態だからこっちもだんだん体調が悪くなってきた。
もう一度運転手さんに地図を見せたら、分かった!みたいな顔をして、やっとその宿まで
たどりつくことができた。
一生懸命探してくれてとてもうれしかったので、10バーツ余分に払った。
向こうは何も言わなかったが、気持ちは分かってくれたと思う。

一人部屋は空いているか聞いたが、あいにくドミトリー(大部屋)しか空いていないらしい。
ほかの宿を探す気力もなかったので、しかたなくドミトリーでOKした。

しんどかったから、部屋に入ったらすぐ寝てしまった。
9時頃起きて、特に腹も減っていなかったが、何も食べないわけにはいかないと思い、
外へ出て商店に行き、ろくでもないサンドイッチとパンとプリッツと体のためを思って
りんごジュース100%とオレンジジュース100%を買った。

その後部屋に戻って飲食した後またすぐ寝た。


13日:
10時頃起床。
気持ち悪いのかひもじいのかよく分からなかったので、下のレストランで
パンとスクランブルエッグを食べてみる。
おいしくない。体調は思わしくないみたいだ。

部屋に戻ってまた寝て、15時頃また起きる。
ドミトリーは外の車の音がとてもうるさくて環境が悪く、また一人の方がいいと思い、
チェックアウトはとっくに過ぎているのに懇願して一人部屋に移らせてもらう。
ドミトリーに比べるとかなり静か。
20時頃まで寝る。

起きて、下のレストランでフルーツサラダにヨーグルトをかけたものを食べる。
食べた後、また少し寝る。

起きると、体調が良くなってる気がする。
病み上がりでテンションが高くなっていたので、深夜まで小説を読んだ。


14日:
万全ではないがかなり良くなっている気がする。
買い物へ行こうかと思ったが、体力がなさそうだったので、ネットをしに行く。
そして久しぶりに日記を更新。
ゲストハウスのこち亀を読み漁る。


15日:
かなり元気になったので、買い物に行くことにした。

レンタサイクルを探したが、いくら探しても見つからない。
結局バイクを借りることにした。24時間150B(約530円)。
運転できるか不安だったが、操作がカブとまったく一緒だったのでまったく問題なかった。
乗っててよかった、カブ。

タイは交通ルールがないに等しいが、逆にそのゆるさが楽しかった。
日本じゃ考えられない感じのアバウトさで運転できる。もちろんノーヘル。
15分ぐらいで、チェンマイ最大(と思われる)のショッピングモールへ行った。
目的は変圧器。
日本の電圧は100Vで、タイの電圧は240V。
「最近の電化製品は海外対応のものが多い」とガイドブックに書いてあったから、
じゃあウチのも大丈夫だろう、とタカをくくっていたら、持ってきた機器一個も対応してなかった。

このショッピングモール、概観はなかなか立派な感じだったが、中に入ってみたら
日本の場末のデパートみたいな雰囲気で、陰鬱な気分なった。
そのくせなかなか広く、1時間以上かけてやっと変圧器の売り場を探し当てたが、
商品を前にして買おうかどうか1時間ぐらい迷ってしまった。
というのも変圧器はなかなか重く、値段も2千円近くするからだ。
変圧器なしでやり過ごすこともできないこともない。

が、結局勇気を出して580Bで購入した。
病み上がりだし、たくさん探してたくさん悩んで疲れたので、
自分へのご褒美としてケンタッキーで食事をした。若干普段のメシよりは高価だ。
食べ慣れた味と店の内装は、不思議なほど自分をリラックスさせた。

なかなか普段は気づかないが、慣れない環境と味で、疲れがたまっていたのだろう。
今回の風邪も寝不足で体力が低下ことによって、堤防が決壊したみたいに
たまっていた疲れが表にどっと出てきたものなのだと思う。
旅行中は睡眠と食事はきちんと取らなければいけないという良い教訓になった。

明日、チェンマイを出ることにした。
結局ここでは買い物とネットしかしなかった。
本当は寺院巡りとかトレッキングツアーとかいろいろあるのだけれど、
風邪をひいたり、なにかとタイミングが合わずじまいだった。
これ以上ここにいても気が滅入ってしまうと思うので、もう出発することにする。


16日:
10時頃起きて、今日はどこに向かおうか悩んでいた。
チェンマイより上はパヤオ、チェンライ、メサーイと続く。

パヤオは、カオサンで出会った、農業をやっているおじいちゃんがいる所だ。
ぜひ一度お邪魔させていただきたいと思っていたが、何度かけても電話が通じない。
電話が通じないのにとりあえずパヤオに行ってみるのは危険すぎた。
パヤオは観光地でなく、よってガイドブックにも乗っておらず、ゲストハウスがあるのか
どうかさえ分からないからだ。

チェンライはそこそこ大きい都市だが、時刻表を見るところによるともうバスが
間に合いそうにない。

メサーイはミャンマーとの国境の町だ。
一日だけならノービザでミャンマーの国境の町、タチレクに入れる。

結局悩んだ末、メサーイへ行くことにした。
もしおじいちゃんと連絡が取れたら、南下する途中に寄ればいい。チェンライもしかり。
15;30のバスに乗る。
4時間かかるという話だったが、結局メサーイに着いたのは8時過ぎだった。

バスを降りたら、すぐさまバスの運転手にバイタク(バイクのタクシー)を勧められた。
ちょっと強引で嫌な気分になったが、ゲストハウスまで行くしかないので
言われるがままに乗った。

国境近くのアーケード街に来ると、バイクはスピードをゆるめて、一軒のホテルを俺に
斡旋したが、高かったので拒否した。
二軒目の所は、150Bか200Bと看板に書いてあったのでいいかと思ったら、
300Bとぬかしてきた。
断ったら、今度は200Bと言ってきた。
俺が150Bと書かれてある部分を指差すと、いや200Bだと譲らなかった。
そこの従業員の顔はこわもてで、自分も夜で不安な気持ちになってしまったので、
つい200BでOKしてしまった。

部屋に案内されると、そこはツインルームだった。
200B払ったとき、そいつは鼻で笑った気がして、猛烈に腹が立ってどうしようもない
気分になった。
心の中ではぼったくられているんじゃないかと思いつつ、いつも相手の言い値を
払ってしまう自分がどうしようもなく嫌になった。

食事を取るために下に下りた。
フロントのこわもて野郎は、見下したようにこっちを睨んでくるくせに、
こっちが話しかけると気持ち悪い笑顔をつくってくる。マジぶっころしたい!

ビールと餃子とプリッツとクラッカーを買って帰った。
GOTHという小説が置いてあって、食べながら読む。
プリッツとクラッカーはあまり美味くなかった。餃子はそこそこだった。
ビールだけがやたら体に染みた。
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